(2022年3月)

司会 サンライズ・ジャパン病院が開院して5年が経過し、軌道に乗ってきたところでのこの新型コロナの流行。その対応も含めましたいろいろと苦労話などもあるかと思いますので、今回はそのあたりのお話を岡和田院長、鎌田社長にお伺いできればと思います。

まずは、なぜカンボジアで医療事業に関わることになったのでしょうか。

サンライズジャパン病院 岡和田院長

岡和田院長

岡和田 私は、高校生の頃よりモノづくりと人材育成に興味がありました。順天堂大学医学部を卒業し、手術によって患者さんの将来を担える小児科外科医を専門とし大学病院で勤務していました。しかし日本は少子化問題があり、「このまま小児外科医としてやっていけるのか、若手の医師の働く場所は将来どうなるのだろうか。」と言った漠然とした危機感を持っていました。そこで、日本の小児医療者が高い医療水準を維持していくには、このまま先細りになる小児人口問題のある日本ではなく、子供の人口が増えているアジアにまずパイオニアとなる人物が進出していくことで、その解決策になるのではないか、と思ったのです。

司会 なるほど。

岡和田 ちょうどそのころ、経産省の知り合いから、カンボジアでサンライズ・ジャパン病院が開院するという話を聞かされました。そして、すぐにこの事業を推進していた北原国際病院に面談を依頼し、その翌週のサンライズ・ジャパン病院開院の際には見学者としてカンボジアにおりました。実際に現地を確認し、このプロジェクトの意義にさらに共感を持ったことから、開院から約1年遅れて2017年12月より小児科部門の立ち上げをミッションとして頂き、赴任することになりました。医療制度はアジア各国ではそれぞれ異なっておりますが、カンボジアでは、日本の医療者の日本での免許が、書類手続きだけでカンボジアで使用可能で、日本人医師が現地で直接医療行為が出来るという点も、大きな決め手となりました。手続きは非常にスムーズに行われました。

司会 鎌田社長はなぜカンボジアの事業に関わるようになったのでしょうか。

サンライズジャパン病院鎌田社長

鎌田社長

鎌田 私は世界を舞台にその地域の社会・経済を支えるインフラプロジェクトに参加したいという思いで日揮に入社しました。入社してまずは財務部門に配属されましたが、2008年から3年間サウジアラビアの現地法人に出向した際に、当時日揮が取り組み始めた事業開発案件が現地で複数進んでいるのをサポートした経験から、日揮のインフラ建設業務に加えて、その事業運営まで携わっていくことに大きな魅力を感じました。その後2011年から2年強、経済産業省へ出向し、そこで日揮以外の企業の事業開発を目の当たりにするチャンスもあり事業開発への興味はますます高まり、日揮に戻ってから都市開発、医療事業開発に参加し、開発途上国での都市機能としての医療事業に興味を持ち、ヘルスケア部門へ異動しました。現在取り組んでいるカンボジア事業は、同部門が2013年から開発をスタートし、2016年から病院運営を始めていますが、初代社長が任期を終了した20194月から現地責任者として赴任しています。

日揮といえばプロジェクトマネジメントですが、ここでは様々な医療専門職の方々とカンボジアの医療を良くしていくというゴールを目指して協働し、それをマネジメントしているという意味では、とても日揮らしい仕事をしているという実感があります。

 

司会 カンボジアでの病院経営で苦労されている点はなんでしょうか。

岡和田 私は2020年3月よりコロナの流行とともに、前任者の後任としてこの病院の院長に就任しました。また、出資者の一社であるKitahara Medical Strategies社を代表して、この病院の現地運営会社であるSunrise Healthcare Service社の取締役でもあります。したがって、医師としての仕事に加え、病院経営の責任を負っています。カンボジアは、日本と違い公的医療保険がなく、全て自費診療となります。ですから、「売上を上げる、利益を出す」ことが重要な役割になります。しかしながら、私個人でできることは限られているため、現在の立場になった時から当院の理念の中でも“患者中心の医療”、“持続的共存”、この2点を私の達成目標に掲げてきました。売上や利益というのは顧客である患者さんに支持された結果であって、まずは患者さんにいかに選んでいただける病院にするか、患者さんやその家族の信頼を得るか、が大事だと思っています。

司会 売り上げや利益にも気を配るのは、まるで一般の民間企業と同じですね。

岡和田 そのとおりです。もう一つ苦労している点があります。この病院は救命救急を担っていますが、全ての医療機能、リソースを備えている分けではありません。私自身も、福島県の浪江町の震災診療所での経験を活かして、ここでは総合内科医としても子供から大人まで幅広く診療にあたっていますが、私や他の日本人医師だけでは対応が難しいことも多々あります。そこで、「当病院ではどこまでできるのか」を的確に判断することが、患者さんのためにもとても重要で過信は禁物です。とにかくいろいろ苦労も多いですが、日本では経験できない貴重な経験をさせてもらっており、医療者として経営者としてやりがいはとても大きいと感じています。

司会 鎌田社長はいかがでしょうか。

鎌田 2020年以降は世界中でほとんどの方が苦労されていると思いますが、新型コロナの影響は大きいです。新型コロナが蔓延し始めた2020年は、それが病院運営にどのような影響を与えうるか先行きが不透明になり、かつ病院の感染防止対策が十分かの判断が難しかったため、全従業員向けに仕事を継続するか、休職・退職するかをよく検討するよう促すとともに、経営陣は従業員を守ることを常に考え、残ってくれた従業員は絶対守るという決意を伝えました。結果としてこれまで、コロナを理由に退職するスタッフはほとんど出ず、かつ我々経営側のスタッフを尊重する意思がスタッフに浸透し、コロナ対策については病院が一体となって取り組めていると感じています。ピンチはピンチで多くの苦労を味わい、オミクロン株によりそれはまだ続いているわけですが、そこから新たな価値を生み出すことが出来ることを実体験で学びました。

司会 貴重な経験をされましたね。その他運営上の課題、問題点などありますでしょうか。

鎌田 そうですね、岡和田院長と同様、いかに売上を確保するかが最重要ですが、それについては開院から5年が経ち、経営を持続していく収支構造は見えてきました。ここから先、更に多くのカンボジアの皆様に我々のサービスを提供したいと考えると、今後どうやって優秀な医療者を採用し、育成していくのかというのが課題になってきます。

実は今、カンボジアにおいては看護師を目指す若者が減ってきており、我々と付き合いのあるプノンペンの医療大学の看護科への新入生は減り続け、地方の看護学校も十分な生徒がおらず閉鎖するケースが出てきています。看護師に限らず、医療の仕事は業務量が多く、かつその資格を取るための勉強量の多さもあり、加えてコロナ対応の医療現場の過酷な状況がインターネットなどで誰にでも伝わる時代でもあり、多くの仕事があるなか医療の仕事を選ぶ方が減っているのではと危惧しています。カンボジア政府は医療・保健制度の拡充を推進しており、日本政府も継続的に設備面での支援をするなどその重要性はだれもが認めるところですが、その基礎となる医療現場の担い手が不足しているのは、当院の将来を考えるうえで課題となっています。

司会 それはカンボジアの医療の発展のためにも問題ですね。

鎌田 その解決の糸口として、当院は現地の国立医療大学、および医療系の私立大学と提携をし、医療人材の教育・育成で協力を始めています。また私は現地の日本商工会の役員を務めておりますが、その立場から日本政府およびカンボジア政府関係者に現場で起こっていることを報告し現場の危機感を伝えるよう努めています。今、サンライズ・ジャパン病院で働く現地の看護師は、日本人医療者の指導のもと、立派に成長し、頼りになるリーダーも出始めています。若さもあり元気もある、頼もしいスタッフばかりです。そういう彼らの頑張る姿をカンボジアの皆様に伝えていくのも人材確保のために重要な方法だとも考えています。

司会 現地スタッフを育成することも本事業の目的の一つと聞いていますが、彼らの知識、技術の習得状況はいかがでしょうか。

岡和田 開院時に当院の見学に来た際に、模擬患者としてスタッフの動きや知識、技術を体験をしましたが、その時と私が1年後に赴任した時には大きな成長を感じました。開院当初には緊張のために周りが見えていないようでしたが、徐々に経験を積むことで気配りができるようになっていたからです。さらに、コロナの流行などもあり細かい決まり事も増えていきましたが、一つ一つ理解しようと努め、患者さんにも感染対策の重要性を真摯に説明する姿勢には大変感心致します。技術的なものとしては、私がこちらに赴任後、腹腔鏡手術の導入を行いました。導入から実際の手術開始までに約10か月要しました。はじめは全く見たこともない手術器具の扱いに戸惑っていました。特にカンボジアの外科医は日本のようなテレビゲームなどでの経験が少ないためか、空間認識能力が著しく劣っていました。しかし、隣国のタイへ手術や器具のメンテナンス研修にチームで訪問し勉強会を重ねたことで、今では日本で行われている手術と同等のレベルで手術が可能となりました。もちろんメインの術者としてカンボジア人外科医も活躍しています。

司会 すばらしいですね。人材育成に対してこれからの課題はなんでしょうか。

岡和田 開院当初は日本人スタッフに完全に頼りきりで、すべてを“受け身”の体制で学んでいたように思います。当時は、日常の臨床業務をこなすだけで自主的な学びはほとんどなかった印象です。しかしながら、最近では院内の委員会活動などを通じて部門を越えたつながりが増え、その中でリーダーシップの取れる人材が育ってきています。彼らが自主的に、しかもどん欲に学び取ろうという姿勢や環境を作ることが今後の課題であり、カンボジアの医療人材として将来に渡って貢献するためには必要なことだと考えています。

司会 鎌田社長はいかがでしょうか。

鎌田 先に述べた通り、部門によってはカンボジア人リーダーが率いるようになってきており、知識、技術の習得は日本の基準でも及第点を付けられるスタッフが出てきていると思います。また病院を経営するという点で、それは知識、技術もさることながら人間性、倫理観、経営感覚など必要になってきますが、コロナの苦境を共に乗り越えてきた中で、そういう部分での成長も確認できたスタッフもいました。日本の医療体制でどれだけの方が管理職に就いているのか知らないのですが、当院では多くのスタッフに若いうちから管理職で頑張ってもらっているのではないかと思います。30歳になる前に副部長(Deputy manager)です。

司会 現地スタッフが管理職になっていくと、日本人の役割はどうなっていくのでしょうか。

鎌田 我々はカンボジアで設立された病院ですので、可能なポジションから現地スタッフを登用していければと考えていますが、病院が開院5年ということもあり経験が浅い状態での抜擢となります。まだまだ新たに学ぶ医療知識・技術もあり、かつ運営面でも不足する経験を補う必要もあり、各部門の日本人スタッフにはコンサルタントとして彼らを支えてもらっています。

もう少し突っ込んだ話をすると、現地スタッフを管理職に登用し始めたきっかけのひとつに、当地に来ていただける日本人医療職の不足があります。今後、カンボジアの事業を拡大していきたいという計画がありますが、それに反して日本人医療職が増えていかないという問題を抱えています。今はコロナの環境もありなかなか外に目を向けるのは難しいかもしれませんが、冒頭岡和田院長が触れたように、今後の日本医療また個々の医療者の方々の将来を考えると、一度海外に出て経験を積むことでコロナ後の選択肢を増やすことに繋がるのではないでしょうか。

私も日揮で中東、アフリカ、アジアと様々な文化・社会を経験することで、20年前に考えていたキャリアプランとは違うルートを辿ってゴールを目指しています。サンライズ・ジャパン病院は発展途上ですし、一緒に働くスタッフは皆バイタリティ溢れているので、本事業に興味を持ち一緒に取り組みたいという方がいらっしゃったらいつでも大歓迎です。

司会 本日は貴重なお話、ありがとうございました。

 

サンライズジャパン病院 社長、院長

(サンライズジャパン病院 鎌田社長(左)、岡和田院長(右))

 

サンライズ・ジャパン病院(プノンペン) 

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